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棋士には見えにくい「将棋」の本質というもの(改編) [将棋]

7月20日に「不屈の棋士」というタイトルの本が発売された。
不屈の棋士 (講談社現代新書)

不屈の棋士 (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/07/20
  • メディア: Kindle版



ー人工知能に追い詰められた「将棋指し」たちの覚悟と矜持ー
・・・何やらずいぶん大袈裟な見出しだなあ、と思いながらも、やはりポナンザのような強い将棋ソフトが出現してくると、将棋の最強集団であると言われてきたプロ棋士たちは、こういう見方をされても致し方ないんだろうな、と実感した次第だ。
 別に私はこの本のレビューを書きたいわけではないので、詳細についてはここでは触れないが、この本で取り上げられている11人の棋士のインタビューをざっと読んでいて、気になることがあった。そして私は以前、今回と同じタイトルで少し長めの記事を書こうとしたのだが、途中で新しいPCに買い替えたり、盤面図の出し方がよく分からなくなってしまったせいで、何やら中途半端な記事になってしまったのだが、今回この本を読んでいて、その時に書きたかったことが結構鮮明に思い出されてきたような気がしたので、改めてここで書き直してみたいと思ったのである。

 気になった言葉というのは「人間らしい将棋」「人間にしか指せない将棋」という表現である。
 同じ将棋を指すにしても、人間の将棋とコンピュータの将棋ではかなり異質だという。
 それはこの本の筆頭に出てくる羽生三冠と渡辺竜王、そしてその他の棋士からも異口同音に語られることである。
 そして今後ソフトがさらに進化して、まったく棋士が歯が立たなくなってしまったら…ということを想定したときに「強い弱いは度外視して、人間らしい将棋を指せばいいのでは」という意見が出てくるのである。
 私はふと苦笑してしまいそうになったものだ。
「はあ・・・プロ棋士がいまさらそれを口にするかねえ」
 なぜなら、将棋がなかなか強くならない素人たちから見れば、トッププロの指す将棋なんてのはおよそ人間らしくないからだ。
 最初はだれでも皆初心者で、ルールを覚えたら好き勝手に思いついた手をパッパッと指していくものだ。うっかり王手に気づかずに王を素抜かれようものなら、待ったをする。相手の二歩に気づいて指摘したら、先に自分も二歩を打っていたのに相手が気づいていなかったとか、初心者どうしならばめずらしくも何ともない光景だろう。
 やがて自分より強い人に出くわして、何とかしてこの人に勝ちたいなあと思い始め、ただ自分のやりたいように指しているだけでは限界があるということを知らされる。そして勝つために定跡やら手筋やらを覚え、さらには相手の玉を王手の連続で詰まさなければだめという、実戦ではありえない限定されたルールの詰将棋というものを解いたりして、上達するための考え方を身につけていくのである。
 そうした将棋に勝つ考え方により特化された頭脳を持ち合わせた集団の中で腕を競い合って、勝ち上がっていた者たちがプロ棋士なのである。
 そういう観点から見れば、棋士の頭脳はこと将棋に関していえば、およそ普通の人間とはかけ離れたところにあるのだ。とてつもなく強い人のことを「鬼のように強い」などと表現するが、正にその言葉通り、トッププロの強さは人間を超えているとみなされるのであろう。
 ソフトの実力を認めつつも、ソフトを利用して将棋を研究したり検討したりする姿勢を真っ向から否定する代表棋士の一人が第5章に登場する佐藤康光九段である。
「将棋はそんなに簡単じゃありませんから」
 この本の筆者の前で何度もこの言葉を、怒ったような口調で口にしていたそうだ。
 なるほど、コンピュータで局面を検索すれば一瞬にして、この名人の指した手は疑問手であり、ポナンザの候補手はこうで、実はこう指していれば名人は優勢を保てていた・・・などと観戦記に書かれてしまう事態がよくあるので、不快に思うのであろう。
 しかしよくよく考えてみてほしい。確かにそうやってソフトを使って結論を出してしまう人自体には、もっと自分の頭で考えて将棋の奥深さを学んでほしいとも言いたくなるものであるが、果たしてソフトを使って検討している人たちやソフトを開発している人たちすべてが、将棋は簡単なものだと思っているのだろうか。むしろ将棋というゲームの難解さをよくわかっているから、強いソフトを使ったり作ったりしているのではないだろうか。
 「第一感はこうですねー」
 よく解説でプロが口にする言葉である。佐藤九段自身も大盤解説で何度も言ったはずである。
 現にプロ棋士の直感というのは7割以上は当たるものらしい。それはプロになるために若いころから研鑽を積んできたからに他ならない。要は初心者ならいくら考えても正解が見つからない局面だとしても、ある程度強くなればいちいち読まなくても最善手がわかる確率が増えていく。その最たる存在がプロ、さらにはタイトルを取るようなトッププロ「だった」のである。
 今までは自分たちがしてきた役割を将棋ソフトにとってかわられて「そんなに簡単に結論が出るものではない」と、将棋に関しては素人である観戦記者に対して怒ったような口調で言う。
 果たして佐藤九段は自分のしている行為の矛盾に気づかないのだろうか。
(続く)
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