SSブログ

棋士には見えにくい「将棋」の本質というもの(改編)その2 [将棋]

今年行われた第1期電王戦の第一局が終わった後の会見の時に、日本将棋連盟理事の青野九段が次のようなことを言っていた。
「少なくとも今日の将棋には山崎八段のいいところがあまり見られなかったのが残念であったので、第二局では人間の素晴らしさというものを見せてもらいたい」
 そしてひと月半後に行われた第二局。結果的にこの将棋もPonanzaの勝利には終わったが、山崎八段はこの将棋においても実に人間らしいところを見せてくれたと思う。
 実は人間側が先手番の時には、何やら序盤で少しばかり先手が有利になる手順を、山崎さんの弟弟子でコンピュータ将棋に詳しい千田五段が発見していたようで、初手に2六歩として相がかりを目指せばそれが実現するということを山崎さんに事前に知らせて、さらに糸谷八段らとも研究したうえでこの手順で行ったほうが良いということを山崎さんに伝えていたのである。

 しかしいざ第二局が始まり、山崎八段が指した初手は7六歩。一日目朝から検討用の継ぎ盤の前に集まっていた森信雄門下の若手棋士たちは、一瞬にして驚愕と落胆の雰囲気に包まれてしまったのである。
 なぜ山崎八段が2六歩を指さなかったのか。別に人から教えられた手を指すのが嫌だとか言う見栄とかではない。その手順で指してもその後の局面が山崎さんにはそれほど有利になるとも思えなかった。それならば自分で考えて有利になると思う手順を選んだ方がいい、という判断をしたのである。
 事前の研究も頭に入れたそのうえで、最終的には自分で考えて、いいと思った手を指す。
 実に当たり前のことだが、どうも最近の棋士たちの間では、こと対コンピュータということになると、とにかく何とかして勝ちたいというエゴが強いのだろうか、この当たり前の本質がどこかに追いやられてしまっているのだ。
 特に電王戦FINALの時は、団体戦はこれが最後ということもあって、対戦する棋士5人以外にも事前研究に協力させて、いざ本番の対局の時には、その用意された嵌め手にコンピュータが引っかかるかどうかが注目だなどと、解説や聞き手が平然と話している場面もあったのである。
 いくらコンピュータと対戦する将棋だからと言って、こういう将棋の本質に反するような番組を棋士たちが主催してよいものなのだろうか。山崎八段が指した一手は、コンピュータ将棋への最近の棋士たちの態度に対する、最大限の抵抗を感じさせるものであった。
 人間が指そうがコンピュータが指そうが、同じ将棋であることに変わりはない。
 ただ数年前に比べるとコンピュータ将棋が急激にレベルアップしてしまったので、人間同士で指すような感覚だと、もうプロでも勝てないレベルにまで来ていて、これからは更にコンピュータが強くなる恐れがある、という事実が現状だということだ。
 だからと言って人間は自分で考えた手を指すのが自然であり、それが将棋の本質であることに変わりはない。それはだれにも邪魔されることのない対局者の権利である。ましてや棋士がその将棋の本質を尊重しないでどうするのか?
「コンピュータがどうだろうが、人間は自分の頭で考え抜いた手を指すもんなんだよ。たとえ負けてもな」
 山崎八段の指した手に込められたメッセージに、棋士のあるべき姿を垣間見た気がする。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。