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親心と自立 [日記・雑感]

 
 しろがねもこがねも玉も何せむに 勝れる宝 子にしかめやも

 (銀や金や宝石やら、そんなものはどうでもいい、子どもに勝る宝なんて他にはないよ)
                                                 
                                     ― 山上憶良「子等を思ふ歌」より

 さて今年も年が明けた。
 とはいっても、自分の身の回りのことが急によくなるわけでも、また急に悪くなるわけでもないものだと、最近になって思うようになったものだ。
 
 「2011年は大変な年であった。2012年はいい年にしよう」
 ・・・なんて言うけれども、そもそもこういう区切りって何なのよ、って思うことがある。
 むしろ人間社会にこういう区切りが設けられているが故、却って煩わしいことが増えているような気がしないでもない。

 しかし現実にこういう区切りのある社会で生きてきたのだから、これからもそうするよりないのであろうが。
 
 さて、いつものようにネット将棋をやりだすと、久しぶりにMさんが対局しているのを見掛けた。この人とは数年前に私が通っていた将棋教室で出会った。事情でその教室は今はないが、たまに24でお会いして、チャットで近況を話したりしている。この日もMさんの将棋が終わるのを見届けてからあいさつし、チャットで将棋の感想やら近況やらを話した。
 
 Mさんには高2の息子さんがいる。息子さんも将棋が趣味で.私は彼とも何度かその将棋教室で指している。一時期はプロ棋士になりたいと思っていたようだが、残念ながら奨励会のレベルは彼には少し高かったようで、中3の時点で奨励会に行くのはあきらめたようだ。

 で、その息子さんとも私はしばらくお会いしていないので、その後どうしているのかと思いMさんに尋ねてみた。とりあえず元気で学校に通っているようで、大学にも進学する予定だという。
 それは何よりで、と思っていたのだが、Mさんは何やら息子さんに不満があるご様子だ。

 「まあ、別にそんなすごいことは要求するつもりはないんですがね・・・何というか、もっとしっかりしてほしいというか。単純なことでもいいから、毎日続けてもらいたいですね」
 Mさんのこの思いは、息子さんがプロ棋士になりたいと言いだしたことがそもそもの発端だ。息子さんはそれなりに強かったが奨励会を受験するようなレベルではなかった。そこで将棋教室の講師であるプロの先生がMさんの息子さんにある課題を与えた。毎日プロ棋士の棋譜を、出来るだけたくさん並べなさい、ということだった。だがMさんに言わせると、息子さんは毎日並べるなんて出来なかったらしい。まあその件は、とりあえず中学校の時点で終わったことだから責めるつもりはないのだが、とにかく親からみると、もっとしっかりしてほしいとのことだった。

 「でも、もう大人に近い年齢なんだから、少しはちゃんと考えてるでしょう。あんまり心配しないでほっておいたらいいのに」
 私がそういうとMさんはこう切り返してきたのだ。
 「それはそうですが、うちのはまだ、自分で考えられるようなレベルに達してはいませんから。だから最低限、基本的なことが毎日出来るようにならないうちは、自分で考えるなんてダメでしょう」

 
 うーむ。自分で考えて自分の意志で行動することが自立の始まりであると思うのだが・・・基本的なことが毎日できるようになるまで、自立できないのだったら、それは大変なことだろうな。自立できない人間だらけですよ。極端なこと言っちゃうと、生まれつき重度の障害を持つ人は絶対自立なんてありえないってことになるよ
(だってそういう人が基本的なこと毎日同じように続けられる保証なんてないし)

 ・・・とまあこういう考えが頭をよぎったが、まあそれも、生真面目なМさんの息子さんに対する思いの強さから発せられる考えなんだろうなと思い、あまり余計なことは言わずに、そのままお開きになった次第である。


 木の上に 立って見ること 出来ぬ親                minorin2
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