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電王戦FINALの前に思う(6) [将棋]

 内館牧子氏のエッセイに関して、先日2月3日に発売された将棋世界3月号に「お詫びと記事撤回のお知らせ」という文面が掲載された。
 民事訴訟とはいえ、こういった結論が出るのに1年以上もかかってしまうんだなあ、というのが半ばあきれた気持である。そもそも示談にしようと思えばもっと簡単に済んだ話だと思うのだが、いったいどうしたことだろうか。
 確かに伊藤英紀さんという方は、棋士に対する敬意がたくさんあるほうではない。だがしかし敬意がまったく感じられない、というほどでもなかったはずである。内館氏のような、将棋のことを大して知らないのに棋士を変に持ち上げようとする自称教養人(少なくとも自分のほうが教養があると思っているからああいう表現が出てくるのだろう)のほうが明らかに不自然だ。例の持将棋対局を取り上げるのであれば、みっともないと言われようがとにかく自分の持てる手段をすべて出し尽くして奇跡的に何とか引き分けに持ち込んだ塚田九段の根性や棋士としての意地をほめたたえるべきだろう。対局後のあの涙は、自分の持てる力をすべて出し尽くして戦った人でないと流せない涙だと、私は思うのだ。
 それにしても、もしかして本当に連盟内に「棋士は将棋ファンから尊敬されて当然だ」とか思っている人がいるのではないだろうか、と勘繰りを入れたくなってしまうような今回の記事にまつわる騒動であった。

 さて、電王戦FINALの第一戦まで残り1か月を切ったのだがニコニコ動画ではこの2か月ほど電王戦ドキュメンタリー電王戦FINALへの道という特集PVがupされ続けている。これは今までなかった企画なので楽しみに見ている。
 ただ、細かいことにこだわるようで申し訳ないが、「勝つのは人類か、それともコンピュータか」というフレーズは、ちょっと違和感を覚える。
 コンピュータ開発の歴史もやはり「人類の」歴史だ。旧ソ連とアメリカが競って宇宙探索をしだしたあたりからすでに始まっているだろうから50年以上は経っているはずである。
 将棋電王戦とはいうなれば「自分で次の一手を考えて指す人間」と「コンピュータを使って次の一手を探索させる人間」の戦いである。
 こういう風な書き方ををするといかにもソフト開発者が卑怯者であるかのように見えてしまう。
 しかしコンピュータ将棋というのもやはり、人間の知性の賜物であろう。現に我々はコンピュータの発展の恩恵を受けて生きてきている。ただ、すべての物事には必ず何かしら弊害が付きまとう。
 仮にすべてのプロ棋士が全くコンピュータ将棋に勝てなくなったとしたら、その弊害が将棋界に来ただけでのことである。
 もっともだからと言って将棋ソフト開発が害悪かというとそうではない。これだけIT開発が進んだ時代に強いコンピュータ将棋を作りたい、と思う人が出てきたところで何の不思議もないだろう。
実際将棋よりはるかに競技人口の多いチェスは、すでにコンピュータのほうが強いということを受け入れたうえで、今でも世界の人々に指し続けられている。
 
 棋士たちはこういう時代に棋士であることの宿命を受け入れて、自分たちのできることをやるしかないのではないだろうか。
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